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まずは僕のことを。生い立ちやブログを書く理由。

こんにちは、高山大知です。
とりあえずブログに書くことに慣れようと思うので、上手く書けなくてもどんどん書いていこうと思います。

やっぱり一番書きやすいことから書いていくのがいいと思うので
まずは自分のことを。

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生い立ち

出身は熊本県の八代市。
歌手の「八代亜紀」さんで有名になった町ですね。
本業はハンドフルートをやっていまして、呼んでいただいたところに演奏に行ったり、オンラインでレッスンをしたりしています。
音楽大学を出たあとハンドフルートの演奏活動をしながら、最近は動画で買ったモノの話をしたり、弟がやっている社会人野球の写真を撮りに行ってます。

ハンドフルート

本業でやっているハンドフルートなんですが、これは楽器を使わずに自分の手だけで演奏するものです。手を組んで息を吹き込んで音を鳴らすもので、今はこのハンドフルートで演奏の活動をしています。

出会いは中学生の頃。僕はその頃学校に行かない子供でずっと家にいたんですが、あるとき偶然観たフジテレビのベストハウス123に、ハンドフルートのことが取り上げられていたんですね。
演奏していたのはハンドフルートの森光弘さんとピアノの臼田圭介さんのデュオ「CHILDHOOD」で、演奏していたルパン三世のテーマに衝撃を受けまして、僕もやってみたいと。
CHILDHOODの動画を観たり、ベストハウスのページに載っていた吹き方を参考にしたりしていると、音は割とすぐ出すことが出来ました。
小さい頃からピアノを習ったり音楽を勉強していたりというわけではなかったので、最初はホーホーと鳴らして遊んでいただけです。

高校生になると周りは知らない人ばかりになったことで、中学の頃よりも余計に行きづらくなってしまい、入学式から1週間くらいでまた家に篭る日々が始まりました。
だいたい夏休みくらいの時期にまたハンドフルートとCHILDHOODのことを思い出し、ネットで検索してみると、CHILDHOODはメジャーデビューを果たしていたんですね。
それでCDを注文したりしているとハンドフルートの方の熱も再燃。
ちょっとだけ音階を出せるようになってきていました。
夏休み明け「1年生が研修旅行で居ないからおいでよ」と担任の先生と当時の生徒指導の先生に誘われた僕は久しぶりに学校に行くことに。
夏休み何してた?と聞かれハンドフルートのことを教えてみるとものすごく面白いと褒めてもらったんですね。
「せっかくなら(高校の)音楽祭で出来るくらい練習やってみようよ」
という生徒指導の先生の一言で、流れが変わりました。


クラスの授業には行けなかったんですが、担任の先生が音楽室の空いてる時間を見つけてきてくれたので、空き時間はずっとそこに篭って練習をするように。
音楽室に篭る前は、学習室のベランダで授業中もホーホーと音を鳴らしていたので、他のクラスからクレームが来たりしましたが。笑
音楽室が空いてない時間は、職員用の会議室を貸してもらっていました。その時は教頭先生がずっとついていてくれて。話し相手にもなっていただいていたので、クラスには行けなくても学校に行くのは楽しかったです。

音楽祭での演奏は、CHILDHOODに憧れていた僕はピアノ伴奏が欲しかったんですね。
なので伴奏を2つ上の先輩にお願いして、演奏することにしました。
僕の高校は雅太鼓、三味線、吹奏楽で有名な学校だったので、毎年その3つの部活がメインのようにして音楽祭を行なっていたんですが、希望の生徒は自由にステージに出ることが出来ました。
当時高校に大きい会館がなく、毎年町の大きい会館を借りて行なっていました。
キャパ1500人ほど。
演奏したことがない僕からしたらとんでもない人数のお客さんが、毎年音楽祭に足を運んでいました。

その頃は楽譜を読むことができなかったので、CHILDHOODのCDの中で演奏できる「見上げてごらん夜の星を」という坂本九さんの曲を演奏しました。自分が出せる音域で演奏できる曲がそのくらいだったためです。
本番では今でも不思議なくらい普通に演奏することが出来て、いただいた拍手や飛んでくる応援の声に「ハンドフルートの演奏、もっと続けたいな」と思うことが出来ました。
CHILDHOODの二人は東京音楽大学を出ていたので、僕も演奏をするなら音楽を勉強しないといけないなと思うようになり、近くの平成音楽大学へ進学しました。
長くなったのでちょっと端折りますが、その後も森光弘さんに習うようになったり、卒業後も演奏活動をするようになったという感じです。

ブログを書く理由

以前はAmebaブログでハンドフルートの演奏活動や告知などを書いていました。
Twitterなどでも同じように発信していたんですが、だんだん他のことも書きたくなってきたんですね。
主に趣味のこと。例えばガジェットだったりガンプラだったりスマブラだったり。そういう自分が好きなこともブログなどで書きたくなってきたんですが、ハンドフルートの発信が見たい人からしたら興味がないよなぁと思って最初は止めていました。

ただいつかのタイミングで「これからはブログにも色々書きます」という記事を書きまして、なりふり構わず書き始めました。
そういう時はブログを分けたり、発信媒体を分けるといいのかもしれませんが、僕は複数運営するのが昔から苦手だったんですね。どうしても片方が疎かになってしまって。
それよりも僕のいろんな面も見てもらおうと思い、同じブログに書くようにしたんですが、やっぱり書いているうちにだんだん恥ずかしさも出てきました。
その頃新しくやりたいなと思ったのがYouTubeの動画。

瀬戸弘司さんの動画をよく観ていた僕は、僕も動画を作りたいなぁという意欲が出てきていて、同じように好きなことを動画の方で発信しようかと。
ハンドフルートの演奏動画もYouTubeにアップしていたんですが、同じチャンネルにアップすると観てる人はブログの人よりも混乱するようなぁと、最初は別のチャンネルでやることにして始めました。

そうやってハンドフルートと、その他のモノやガジェットの事を発信しようと思った理由には「もっと色んな人にハンドフルートを知ってもらいたい」という思いと「ハンドフルートだけじゃなくてもっと色々な柱が必要だ」というものがあります。
自分の好きなモノなどの発信から観てくれた人が、僕のことやハンドフルートのことも知ってくれるといいなぁと。


それからもうひとつの”柱”のこと。
去年新型コロナウイルスが流行り出した時、ハンドフルートの演奏活動はほとんど出来なくなってしまったんですね。普段演奏できていることは当たり前ではないと気づきました。
だからハンドフルート以外にも出来ること・やりたいことはどんどんやって、自分の柱になるものを他にも作らなければいけないんだなと思うようになりました。

見出しのブログを書く理由
それは「動画で発信出来ないことも書きたい」ということと「MacBookをもっと活用したい」ということ。前の僕だったら、好きなことは動画だけでも良いかなって考えていたんですが、やっぱり動画だけだと作れない話が出てくるんですね。
モノを紹介する動画は作りやすいけど、ちょっとした小物や普段思ってること、ちょっと出掛けたところの話…
そういうものは動画よりもブログの方が発信しやすいなと思ったんですね。
それから今使ってるMacBookAir、今のところ動画を作ったり撮った写真を編集したりという使い方はしてるけど、文字を打つというのはあまり出来ていないんですよね。それって勿体無い気がして、ちょっと文字を打つのもやってみたいと思いました。

このブログで発信するのは、まずは僕の好きなモノやガジェットの話を中心に、書ける事を何でも書いてみようと思っています。たまにはハンドフルートのことも書くかも。
普段のハンドフルートの活動と、動画での発信に合わせてこのブログでの発信。
書いているうちに、新しく好きなことにも出会えるかもしれない。今のうちに何でもやってみたいと思います。

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