僕は結構ハマった映画や本は何度も観るんですが、特にガンダムシリーズはアニメも映画も繰り返し観たりします。
もちろんガンダムシリーズは色々あるので、同じ作品を短期間に観ることは少ないんですが、最近だと逆襲のシャア〜閃光のハサウェイのあたりはよく観てしまうんですね。
昨日も久しぶりに弟と「逆シャア」を観たんですが、こういう観たものの感想を書くのって文章を書く練習になりそうと思ったので、今日は逆シャアを観て思ったことをポイントごとに書いていこうと思います。
新しい映画じゃないのでもう既に色々な解釈があったりすると思うんですが、とりあえずそれは一旦置いておきます。笑
長くなると思いますがサーっとでも読んでもらえると嬉しいです。
逆襲のシャアの感想
ティターンズの方が反政府組織として認識されている
「シャアは俺たちと一緒に反政府運動と戦ったが…」
というセリフがあるんですが、これはやっぱり「ティターンズを相手に戦った」ということみたいですね。
グリプス戦役で登場した「エゥーゴ」と「ティターンズ」、元々はエゥーゴの方が反政府組織だったんですが、戦後はエゥーゴが連邦軍に取り込まれ、ティターンズの方が反政府組織という認識になったみたいですね。
あんまり説明がなくて急にこういうセリフが来るのは、知らない人からしたら混乱するよなぁ…笑
νガンダムの頭部
映画の冒頭ではマスクされたνガンダムの頭部が出てくるんですが、途中で出てくる整備中のνガンダムは頑なに頭部が出てきません。
ガンダムの顔ってここぞ!って時に出てほしいものだと思うんですが、νガンダムの頭部がちゃんと出るのって、そのあとのマスドライバーからの出撃シーンで、これがしれーっと出てくるんですよね。あまり大映しじゃない。笑
まぁその後救援に到着するシーンでは大映しで目も光るのでカッコいいんですけれどね。
ららぽーと福岡で建造されてるνガンダム立像は、今は目の部分にマスクがされていて、それを見たときは映画冒頭のシーンを思い出しましたね…!
ハサウェイはクェスを引き止められたかもしれない
アムロ・ハサウェイ・クェスの3人でロンデニオンをドライブしているシーン。
途中で馬に乗ったシャアに遭遇して、結果的にクェスがシャアについて行ってしまうんですが、もしかしたらハサウェイはクェスを止めることも出来たかもしれないなぁと思って観てましたね。
ドライブの最初のシーンではハサウェイはクェスと同じ後部座席にハロを抱いて座っています。ですがシャアに遭遇した時の急ブレーキでハロが車外に飛び出してしまい、ハサウェイはそれを拾って乗り直すんですが、それで乗り直すのが後部座席じゃなくて助手席の方なんですね。
もしかしたらアムロに、(飛び移る前提で)「助手席に乗ってくれ」と言われたのかも。
後部座席に座り直していたら、ハサウェイはクェスを止められていたのかな。
まぁ、咄嗟のことだったから難しかったかもしれないですが…
「あの子と同じだ」
クェスの操縦技術を見てシャアが言う「あの子と同じだ」というのはララァのことですよね。
最初はシャアもクェスにララァと同じものを感じたのかもしれないなぁとこのセリフを聞いて思いました。
でもおそらくすぐにこの感じ方は変わっていったんではないでしょうか。
ララァとクェスでは、シャアに対しての立ち振る舞い方が違うからです。
ララァはシャアのことを理解していて、「自分を救ってくれたシャアのために」戦っていました。
一方クェスは、シャアが好きだとは言っているけれど「愛情が欲しくて(父親の代わり)」シャアのところに居たと思うんですよね…
クェスの「アルパで大佐を守ってあげる」と言うセリフだけ見ればシャアのためのように見えるけれど、その前には「ララァとナナイを忘れて自分を愛してくれれば」というシーンが来るので、やっぱりシャアに対する考え方がララァとは違うと思うんですよね。
そのシーンのシャアもほんとに困った顔してるし…笑
真顔。
シャアも「やっぱりララァとは全然違うな…」というのを早くから感じていたんだろうなぁ…
一年戦争のリメイク
ララァが死んでしまった一年戦争のことを思い起こすシーンは、冷静に見ているとかなりきっちり描き直されていて、リメイクとも取れるかもと観ていて思いました。
今1stガンダムがリメイクされたらどうなるんだろう…
あとなんかエルメス小さかった。
ストロー
ギュネイが「クェスと付き合ってクェスを研究させてもらう(激ヤバ発言)」と言った後、クェスがくわえてたストローをぷっと吐き出すんですが、あそこ何回観ても好きなんですよね。笑
ストローをくわえてて吐き出すっていう動作も面白いし、シーンのよく分かんなさも相まって好きです。
ギュネイがパーティー?ではしゃいでる人たちに向かって「スケベ供め!」っていうセリフも面白い。
自分はどうなんだ…クェス13歳やぞ…
シャアの演説
シャアの演説で出てくる
「地球圏の戦争の源である地球に居続ける人々を粛清する」
というセリフ。
これはガンダムでよく出てくる「重力に魂を引かれた人たち」の事ですよね。
宇宙世紀のガンダムでは、この重力に魂を引かれた人たちというワードがかなり頻繁に出てくるんですが、演説のものはそれを分かりやすくしたセリフなのかなぁと思いました。
単純に聞いて「重力に魂を引かれた人たち」って意味わからないですよね。
これは元々、ガンダム世界の宇宙移民は「地球環境」を改善するために始まったものなのに、結局「連邦政府の特権階級や認められた人だけ地球に居ても良いよ」っていう謎ルールが出来てしまっていて、これはそれを悪とする考え方なんですよね。
それが逆シャアのこのセリフでは、隕石を落として人間を全て宇宙に上げるという目的のために、ちょっとだけ分かりやすくしてあるのかもしれないです。
アデナウアーを殴りたくて仕方ない仕官
ここだけギャグというか、コメディーぽいですよね。笑
このあとのアデナウアーの能天気さから来る「条約違反だ!」というセリフも、一連の流れはいつ観ても面白いですね。
ちょっと外れるんですが、このあとアデナウアー(父親)を気付かずに撃ってしまうクェスは、本当の意味でのニュータイプだったんだろうか…?
そのあとかなり気持ち悪がっていましたが、アデナウアーのことを父親だとは思ってなかったのか、それとも心の底の自分が気付かない部分ではちゃんと「家族」だと思っていたのか、僕にはまだ分からないんですよね。
今は分からない”迫力”
アクシズが地球に向かって行く「核ノズルに火が入るシーン」は、何回か見返してきてようやく印象的なシーンになってきています。
このシーン、当時公開された時に劇場で観ていたら、ものすごい迫力で観れたかもしれないなぁと思いました。
今は配信サービスで何度もテレビやパソコンを使って観ることが出来るけれど、当時の劇場の迫力には勝てないなぁと改めて思いましたね…
やっぱり映画館で観るという体験は特別ですよね。
閃光のハサウェイも、劇場で観た時と配信で観た時では印象や迫力が大分違いました。
今は感染症の影響もあって難しいとも思うんですが、映画は映画館で観れる時には観た方がいいですよ…!
ただ、今はたまに逆襲のシャアも期間限定で劇場で放映されていたりするので、そういうキャンペーンを逃さずに観に行ってみたいかもと思えました。
ガンダム、行きます!
νガンダムがラー・カイラムのカタパルトから発進するシーン、やっぱり熱いですね…!!
サントラの「SALLY」がかかるのも今ではグッと来ます。
「νガンダム、行きます!」じゃなくて「ガンダム、行きます!」という言い方も「ガンダムという記号」みたいでいいですね。ガンダムが出れば流れや空気が変わることを表しているセリフに感じられる。
2回目の出撃ではちゃんと「νガンダム行きます!」と言っていました!
ギュネイってやっぱり優秀なヤツだったんじゃないか?
ギュネイ・ガスって、アムロが放り出したバズーカとシールドに気を取られてやられてしまう呆気なさのせいで、大したことがないイメージが強いと思うんですが、今回観てみると「結構優秀なヤツだったのかもしれない」と思いましたね。
ロンドベルがアクシズに向かって放った核ミサイル、あれを見ただけで「こいつら核ミサイルじゃないか!!」と気付いて撃墜するんですよね。
シャアはミサイルと核ミサイルの区別がついていなかった?様子に見えたのに。
優秀な人でも、ちょっとしたことでやられてしまうものなのかもしれないですね。というかアムロが強すぎた。相手にしてるの化け物だもんね…
気を取られてやられる人がもう一人
いつも思うんですが、リガズィに乗ってギュネイに捕らえられるケーラ。
あの人が落とされてしまったのって、「追われているのによそ見したから」だと思うんですよね…
追われているのにアクシズにたどり着かなきゃとよそ見してしまったせいで、後ろから撃たれている。
そして脱出装置が動かないからって「コックピットから出てしまう」のもどうかと…
「(ギュネイのヤクトドーガを)狙撃してください!」と言われても、巻き込まれてしまいそうでアムロは撃ちづらそうじゃないですか…?
それでコクピットから出てしまったせいで、ギュネイのヤクト・ドーガに掴まれてしまうし。
エマ・シーンもそうだけど、安易に機体の外に出てしまうのはなんでなんだろう…
チェーンはアムロ大好き
オクトバーさんから送られてきた手紙を見て暗くなっているチェーンが、アムロから「νガンダムは僕が基礎設計をして、チェーンが整備している」と言われて
「そりゃあそうですね!!」
といきなりあからさまに明るくなるチェーン、アムロのこと好きすぎる。
実際に隕石が落ちてきたら
ミライとチェーミンが車で渋滞に巻き込まれてるシーン(あれはどこに行こうとしてるのかな?)で、地球に向かってきているアクシズが太陽をバックに見えるシーン、怖いですよね。
実際に隕石が落ちてくるときはあんな感じに見えるんだろうか…
まだ距離が遠いときだったので影は小さかったんですが、本当に地球の表面に再接近するときは想像できない大きさに見えるんだろうな…
アルパ・アジールの出撃シーン
大型モビルアーマーであるαアジール(実はアルパ・アジールと呼ぶ)には、まだネオジオンに取り込まれて間もないクェス・パラヤ(13歳)が乗っているんですが、それが異常だと思うヤツは周りの大人の中には居ないんだろうか…
もちろんシャアが決めたことなので何も言えないとは思うんですが、いくら戦闘の才能があるからって、簡単に子供を戦闘マシーンにしてしまいすぎだと思うんですよね…どうでしょうか…
でも、現実は意外とそういうものなのかもしれない…悲しい。
ハサウェイが撃った、ギラ・ドーガを撃墜したバルカン
「閃光のハサウェイ」でも出てくる「前の戦争で1機撃墜した」というハサウェイの功績は、チェーンのリガズィを落としたことではなくて、この無断でMSに乗って出撃した直後に撃墜した「ギラ・ドーガ」の事です。
僕も何回か観直すまでは思い出せなかったんですが、思いっきり撃墜してましたね、バルカンで。
あのバルカン強すぎでは…どうなっているんだ…シールドも穴だらけになっているし…バスターミサイルかフォトントルピードかと思いましたよ。
でもよくよく思い返すと、レズンが落とされたのもチェーンが撃ったラー・カイラムの対空だったし、アムロもガンダムのものとは言えバルカンでギラ・ドーガを落としてるんですよね。
逆シャアに出てくるバルカンが強いのか、バルカンは本来あの強さなのか…どっちなんだろう…
クェスが撃墜されてしまうシーン
「小説版逆襲のシャア(ベルトーチカ・チルドレン)」とこの映画の違いの一つは「クェスのやられかた」です。
小説版ではハサウェイが撃ったビームがクェスに直撃して殺めてしまい、「小説版閃光のハサウェイ」ではそのことでハサウェイはうなされ続けるんですが、この映画では「ハサウェイを庇って」死んでしまうんですね…
しっかり観るといまだにちゃんとそれぞれのキャラクターの心情を理解するのは難しいなぁって思うシーンなんですが、やっぱり悲しい。何度観ても悲しい。
劇場版閃光のハサウェイでは、このことがどう活きてくるのか気になっています。
アムロとシャアの対決
アムロとシャアの対決では、セリフや鍔迫り合い、殴り合いがよく思い起こされると思うんですが、ファンネルの撃ち合いも凄いんですよね。
むちゃくちゃ素早い。GNシザービット並み。どうやってイメージして操作しているんだろう…やっぱりアムロもシャアも最高のニュータイプであることは間違いないよなぁと思う要素のひとつです。
あとやっぱり脱出ポッドはデカい。笑
本来のサイズだと、どのくらいになるのが正解なんだろう。
ガンダムUCでもあのサイズで描かれている気がするし…
MGのνガンダム Ver.kaについてくる脱出ポッドもあのくらいのサイズじゃなかったですか??
サザビーのシーンの脱出ポッドが小さく描かれすぎなのか、νガンダムに掴まれるシーンのものが大きく描かれすぎなのか、気になります。
ハサウェイは結構危なかったと思った
アクシズがブライト達の工作で内部から破壊されるシーンがあるんですが、あのシーンでは無数の瓦礫が周りに散ります。
ハサウェイのジェガンとアムロのνガンダムも居るんですが、あれハサウェイのジェガンは結構危なかったんじゃないかなぁと観てて思ったんですよね。
「機動戦士Zガンダム」の時、ゼダンの門とアクシズがぶつかるシーンでは、散らばる瓦礫に戦艦が数多く潰されていくんですよね。
あのシーンのせいで、宇宙空間での衝撃による瓦礫はすごい威力のようなイメージがあるんですが、逆シャアのそのシーンでは大したこと無かったのかな…下手したらハサウェイのジェガンは瓦礫にぶつかってやられていたかもしれないですよね…結構ぶつかってたけど…
アクシズショック
あのサイコフレームの現象は、どこかで観た「一年戦争の時からばら撒かれてきたミノフスキー粒子を中継点にして、地球の人の意志とアクシズに集まった人の意志をサイコフレームが拾ったことで起きた」という解釈がすごくすっきりするんですが、どう思いますか?
あの「アクシズをMSで押し返す」というシーン、あんまり「合理的ではない」ですよね…
でもその「合理的ではない」んだけれども、連邦もネオジオンも「自分を顧みず押し出そうとしている」という行動からくる意志の固さがあの空間に集まったことで、それをサイコフレームが拾ったんじゃないかと思うんですよね。
とにかくがむしゃらにやってみるという必死さが、あの奇跡を起こした、という…
近年では「サイコフレームで何でも起こしすぎ」と言われていますが、逆シャアくらいだったら全然良いと思うんですよね。
アムロとシャアはやっぱり生きていないと思う
アムロとシャアはその後行方不明になっていて、死んだかどうかというのははっきりされていないですよね。
アクシズから離れるスラスター光も、二人が生きているかもしれないという解釈の要素になっています。
けど僕は、やっぱり二人は死んでしまったんじゃないかなぁと思うんですよね…
アクシズを押し返しながら「口喧嘩」を始める二人ですが、あのシーンは画面が赤くなっているので、コクピットは摩擦熱による高温でとんでもないことになっているんじゃないかと思うんですが、シャアの「ララァ・スンは私の母になってくれたかもしれなかった女性だ、そのララァを殺したお前に言えたことか!!」というセリフのあと、シャアの身体は「宙に浮く」ような描写があるんですよね。
そのあとのアムロのシーンと合わせても、直後に「二人は燃え尽きてしまった」んじゃないかと思うんですよね…
生きていてくれたら嬉しいけれども、やっぱり燃え尽きてしまっていても仕方がないんじゃないかなと思いました…
名作は何度観ても名作だと思わせてくれる
「機動戦士ガンダム 逆襲のシャア」の感想を、ポイントごとに語ってみました。
本当は絞ってから書こうと思ったんですが、まとめるのは時間がかかりそうだったので、思った点を書き出してみました。
最後まで読んでくれた方、ありがとうございます。
やっぱり感想を書くのはすごく難しいですね。
ブログのコンテンツ的にはどうか分からないんですが、自分が思っていることを書き出すというのは文章を書く練習になるなと思ったので、これからも積極的に観たものや読んだものの感想を書いてみたいなと思いました。
逆襲のシャアは昔の映画なので、もう十分なくらい語り尽くされていると思うんですが、自分が見た映画や好きな映画は、他の方の感想や解釈も見てみたいですね。