中学校以来の再会をした友達の話。

コラム

3月27日に、木村和敬くんという友達と中学校以来に会いました。
中学校以来だから…14年ぶり…?

帰りに撮らせてもらった和敬くん。

会うことになったキッカケは、昨日のハンドフルートの演奏でした。

僕なりに和敬くんについては思うところが色々ありまして…
今日はちょっとその彼のことについて、忘れないうちに書いてみたいと思います。

すごく長くなってしまうので、少しずつでも見ていただけると嬉しいです。

小学校からの友達

和敬くんと初めて知り合った…というか友達になったのは小学1年生の時ですね。
1・2年生が同じクラスでした。
和敬は保育園からの友達Sも同じクラスで、僕たちはよく遊ぶようになりました。
うちに来ることもあったし、近所の社宅に住んでいる友達の家にスマブラをしに行ったり…
今思うとその頃からかなり一緒に遊んでいたなぁ。

たしか2年生の時に、和敬とSと3人で先生から怒られたことがあります。
あるときに朝ごはんをウチで一緒に食べたことがあったんですが、そのことが先生に知れて怒られたんだったと思います。笑
Sの方が朝から遊ぶのがすごく好きで、たまに朝6時とかにウチに来て遊んでいたこともありました。

学年が上がると別のクラスになったんですが、それでもウチに来てくれたり、廊下で会っても普通にガンダムの話とかしてました。

その頃彼は何部だったか…確か卓球部だったような気がするんですが、中学になると陸上部に入ったみたいです。

どんな時も遊んでくれた

僕は中学校になると、だんだんと勉強とまわりの友達についていけなくなりました。
元々勉強は好きではなかったし、宿題もやるかやらないかみたいな感じだったから、難しくなってきた授業の内容についていけなくなってきたんですね。
宿題してこなかったらみんなの前でめちゃくちゃ怒られたりして、とにかくしんどかったです。
周りの友達も、中学校くらいになってくると身長が伸びたりテンションが上がったりしてきて、なかなかそのグループに馴染めませんでした。
確か一度修学旅行のあと、そのことで学校に行きたくなくなった時期があり、今思うとそれがその後完全に学校に行かなくなる予兆でした。


夏の中体連では、和敬と同じグループで野球の応援に行きました。
僕は美術部に入っていたんですが、なぜ陸上部の和敬と同じグループだったのかは覚えていません。笑
というか同じグループだったよな…?

中体連での野球の応援って、すごく焼けるんですよ。
皮がパリパリになります。笑


そのすぐあと、インフルエンザにかかって1週間くらい休みました。
なぜ夏にインフルが流行っていたのかは分からないんですが、和敬もかかっていたと思います。

その1週間が僕にとってはかなりデカく、完全に勉強についていくのを諦めました。
しばらくは先生も親も「学校に行こう」と言ってくれていましたし、なんで行かないのか・なぜ行きたくないのか聞かれていましたが、しばらくするともう何も言われなくなりました。

学校に行かなくなった僕は、特に何かしたいことがあるでもなく、ただ親が仕事に行く音を待ってから布団を出て、ただ時間が過ぎるのを待って毎日を過ごしていました。

その時にもごく一部の仲が良い友達とは、家で遊んだりはしていたんですが…


仲が良い友達のひとりで、俺の幼馴染にNというヤツがいるんですが、いつも学校に誘いに家に来てくれていました。
冬のスケッチ大会の時にも誘いに来てくれて、その時は何故かちょっとだけ行く気になりました。
それからはたまに昼から行ったり、教頭先生とキャッチボールしたり、美術部にだけは顔を出すようにはなりました。

ただやっぱりクラスの授業には入ることが出来なくて、なんとなくて過ごしていました。

正確な時期は分からないんですが、その頃から和敬とNの3人で、野球をやって遊ぶようになりました。


よく行っていたのは近所のグラウンドです。
勝手に入って使っていました。笑

その頃の和敬のことでよく覚えているのは、すごくイチロー気取りというかなりきっていたというかイチロー本人みたいな感じだったことと、当時の映画日本沈没の火山噴火の一連の台詞を全部覚えていてことあるごとに早口言葉のようにして言っていたことと、なぜか宇宙戦艦ヤマトのテーマをよく歌っていたことです。
(本人に言いたい笑)


野球といっても守備はいないので、ボールが飛んでいったら取りに行かないといけないやつです。笑
誰かが投げて、誰かが捕って、誰かが打つ…という感じだったような…
今思い出したんですが、たまに弟も加わっていたような気がします。

僕は軟式球しか扱えなかったんですが、和敬とNはたまに硬式球を使っていました。
僕が居る時には軟式でやって、僕がいないときには硬式を使っていたような気がします。

ある時、僕が先に帰らないといけない時がありました。
だけどバットは僕が持ってきているモノしかなく、「後で返しに行くから!」と言われたので、バットを貸して帰りました。
そのバットは、僕が父に買ってもらったちょっと重たい金属のバットです。

軟式用の。

夕方になるとNが返しに来たんですが、そのバットで硬球を打ったらしく、凹んだ痕がついていました…笑
軟式用で硬球を打ったら凹むんだなぁ〜!俺も凹みました!
でもなぜか喧嘩になることはなく、それからもずっと3人で野球したり、和敬もたまにウチに来てゲームしたりして遊んでいました。


その後僕とNは同じ高校に行ったんですが、和敬とは高校が別れました。

僕は授業に出ていなかったので受け入れてくれる高校に行ったんですが、学校が変わって友達と別れてしまうのはよくあることだと思います。
ただ携帯などはまだ持っていなかったので、それから連絡を取ることはなくなり、遊ぶことがパタンとなくなってしまいました。
今思うとそれまでと同じように家電(家の電話)とかで連絡を取って遊ぶことも出来たような気がするんですが、環境が変われば過ごし方も変わるもの…

中学では小学校からの友達がいたのでたまに給食を食べに行くこともありましたが、高校ではまわりの人はほとんど新しい人。

僕は高校に入ってからすぐ、1度もクラスに行くことなく家に居るようになりました。
(僕がハンドフルートを始めたのはだいたいこの頃)

彼の噂を聞いた

高校生〜大学生のころ、僕はよく夜中まで仲良い友達たちと通話しながらネットを繋いで出来るゲームをやっていました。ガンダムだったかな。
みんな小学生からの友達で、Sを含めてだいたい4、5人くらいのメンバーだったかな…
週3〜4くらいのペースで遊び、長い時は4時くらいまで話しながらやってましたね。


ある時に何の話の流れだったか忘れたけれど、彼の噂を聞きました。

「最近写真家になったらしくて、友達の結婚式で撮ったらしいよ」


まず思ったのは「えっどうしてどういう流れで写真家に??」ということ。
一緒に野球をしていた時からは全く想像できないし、趣味から転じたとしてもすぐそこまで行けるのだろうか…
でもその頃の僕はあんまり深い考察は出来ず、そうなんだ〜で終わったと思います。

ただそれからその話だけは頭の中にありました。


だいだいその頃になると、もうほとんど小学校からの友達って連絡を取ったり遊んだりしなくなるんですよね。(僕だけ?)
音楽大学では知り合いは全くいなかったし、大学を卒業してからも僕のことはおろか、ハンドフルートを知らない方の前で演奏することがほとんど。


Facebookってやったことありますか?
SNSって言って良いのかな。
プロフィールに自分の住んでいる地域や卒業した学校を入れると、「知り合いかも?」として知り合い候補がたくさん出てくるようになります。
そうして繋がっていくと、その友達の友達に知り合いかも知れない人が出てきて、更に繋がることが出来るようになっているんですね。

ある時その中に小学校の頃からの友達のTという人が出てきまして、友達申請を送りました。
他にも送ってメッセージで話した友達はいたけれど、それでFacebookから実際に再会出来たのはそのTくらいでした。
Tが地元にたまたま帰ってきたからと、カフェに行くことに。

やっぱり会うと真っ先に始まるのが今の話と昔の話。
小学校の時の友達の話も自然としていました。
お互い共通の友達はいるものの、誰と仲良かったかはあまり覚えていなかったので、誰々と話してたっけ?誰々わかる?みたいな感じで色々名前を出し合っていました。
その中で僕が聞いたのが和敬の事でした。

「写真家になったらしいんだけど知ってる?」

その時Tが知っていたかは覚えていないんですが、実は高校の時に野球の練習試合で対戦したことがあるとのこと…!!
Tは小学生の頃から野球部だったので分かるんですが、和敬が高校の時野球部だった…?!
とめちゃめちゃ驚きましたね。
高校はほとんど硬式野球だと思うんですが、中学の時は遊びでやっていたくらいだったのに、高校になって野球部に入って、しかも試合に出れるレベルになれるのか…?!と色々衝撃でした。

対戦したのは1打席だけだったらしいんですが、もうなんか僕は今木村和敬がいったいどこで何をやっているのか興味津々に…笑


(とここまで書いて何なんですが、僕が和敬にSNSで連絡を取ったのは、この前なのか後なのかは覚えていません…笑
ということにしてください。)


それからネットで名前を検索したり、SNSで探してみたり。

見つけることは出来ました。
ですが、連絡は簡単には取れなかったんですよね。

やっぱり写真家のプロフィール写真とプロフィール文というのは、写真家らしいというか…
彼のプロフィールからも、ものすごくオーラを感じたんですよね。

そんな彼に話しかけても良いものだろうか…(俺のこと忘れてないだろうか笑)
そうして躊躇した僕が取った作戦は「様子見」
とりあえずフォローして様子を見て、たまにいいねをしたり、何か話せそうな話題があればコメントをしてみる…という作戦で行くことにしました。


僕の学校生活の思い出は、小学校・中学校で止まっています。
彼と遊んでいたのも中学生の頃でしたが、時間が経ち、環境が変われば人も変わってしまうもの。
それだけ時間が経った今、また同じように中学生の頃のノリで話しかけるのは難しいと思ったし、不可能だと思ったんです。
僕だって久しぶりに連絡を取る友達がいても、ハンドフルートの活動の事なんて全く知られていなかったし、彼にもその後の人付き合いや人生経験があると思うのです。
色々苦労もしているはずだし、簡単に理解されたくない事もあると思うんですよね。
なので、様子見をすることにしたのでした。


たま〜にコメントをしていると、ある時Twitterの返信が返ってきました。
めちゃめちゃ嬉しかったですね…!!有名人から返信が返ってきた時のような。笑
すぐにはフォローは返ってこなかったけど…笑

その後ちゃんと話し出したのは、確かInstagramです。
彼のストーリーズに送ったコメントから、やりとりが始まりました。


それはお互いを探るようなやりとりでした。
当たり前ですよね。
お互いの呼び方も忘れていたし、向こうもなんだか呼び方がぎこちなかった。

俺も当時”和敬”と呼び捨てで呼んでいたと思い出したのはしばらくしてからです。
それぐらい、経っている時間は長かった。


それから改めて、少しずつ彼の投稿する写真や雑誌、広告、ポートフォリオを見ていきました。
僕が知らない方から知っている方まで、本当にたくさんの方が彼の目には写っていました。
他の方のSNSで和敬の名前と写真を目にしたこともあったし、僕が投稿した弟の写真を見てくれてコメントをしてくれたこともありましたが、今回こうして会えるまではやっぱり時間がかかりました。

実際の時間よりも長く感じたし、ただ不思議と短くも感じました。

”彼”がやってきた

3月27日の発表会の開場時間ごろ、彼はやってきました。
ついたよー!とLINEが来て、ニヤけつつ、震えながら表に行く僕。笑
目が悪いのであんまり遠くからは分からなかったんですが、「大知くん〜?」と声をかけてくれました。

興奮はしていたけれど、不思議と落ち着いていて、僕も「久しぶり」と声を発しました。

正直なんて挨拶をしたらいいか分かりませんでした。
挨拶ってどうやるんだっけ??と…まるでやり方を忘れてしまったような。

マスクをしていたけれど、目を見れば和敬だと分かる。
風貌は変わっていたけれど、それに反して変わってないねぇと言いました。笑
僕に対しては「背が高くなったよね」とか、「昔はふくよかだったよね」とか…
背は高校から変わってないし、今もふくよかだよ。笑
あでも中学の頃は確かに身長低かったような…

お互い、恐る恐る話すように慎重に言葉を発する雰囲気も少しあったと思います。


僕はこうやって実際に聴きに・会いに来てくれたことが本当に嬉しかった。
会う前は震えていたし、緊張もしていたし、ワクワクもしていた。
会えば泣いてしまうかもしれないと思ったけれど…意外となんというか、不思議な落ち着きがありました。全く泣かなかったね。笑

少し楽屋についてきてもらい、森さんや生徒の皆さんに紹介もしました。
僕の小さい頃を知っている人だから。


それから開演時間が来るまで、僕がセットした録画用のカメラの近くで昔話を始めました。

彼の保育園の頃からの友達のこと、小学校の時に一緒に怒られたこと、弟の野球のこと、その他etc…
正直もう何を話したか忘れてしまった(早)けど、おそらく頭の中は会えた嬉しさでいっぱいいっぱいだったからだと思います。


和敬には、純粋に演奏を聴いてもらえるだけで本当に良かったんですが、何か手伝えることがあったら言ってねと言ってくれたことで、カメラの録画ボタンを押すことを頼んでしまいました。
それだけでも本当に良かったし、もうなんか十分だったんですが、なんと演奏中の写真まで撮ってくれたんです。
発表会での記事にも載せたんですが、もう一度載せたい。

あかん、泣いてまう…

撮ってくれた時はぼんやりと思っていたことですが、こうして改めて振り返ってからこの写真を見ると、言葉が見つかりません。
写真には、写っている人・モノだけではなくて、撮った人の人生も一緒に写っているのだと思います。
撮る人からしたら、見ている人を色んな写し方で残そうとするのだろうけれど、撮られてみるとここに写っているのは僕だけではないんじゃないか?と感じます。


その撮り方や色の使い方・出し方にも説得力が感じられます。
僕は技術的なことはまだ分からないことが多いし、なんとなくで撮っていたり補正したりしていますが、彼の撮った写真からは説得力が感じられました。

和敬は「パッと撮っただけ」と言っていたんですが(笑)、なんというか…
パッと撮れるだけの経験をしてきているのだと思います。


写真家だ。
と思いました。


一緒に送られてきたカルチャーワークスの窓。
今回のアイキャッチは彼が撮ったものです。

なんかねぇ、やっぱり良いんですよね。
僕の中では「和敬が見たものを、和敬が撮った」というところに凄く打たれています。
同じくパッと撮ったものなのかも知れないけど…!


その後ハンドフルートの部が終わってしばらくしてから途中で抜けさせもらい、二人でお茶しに行きました。

少し時間が迫っていたので1時間くらいだったんですが、1時間なんて全然足らないですよね。笑
歩きながらや待ち時間も話はやめなかったし、座ってからも話し続けたけど足りなかった。
あれを話したい、これを話したいとずっと思っていたことがたくさんあって、それを次から次へと話す僕。
話の脈略はめちゃくちゃでした。笑
座ってからも全然落ち着かずにすんごいテンパっていたので、彼の荷物の置く場所を気にかけることも出来ず、後から気付いた時には申し訳なかったです。

カメラの話もしたし、高校以降のことも話しました。

話し始めた頃の僕にはまだ”写真家としての木村和敬”の印象が大きくて、正直カメラや写真の話をするのは恐れ多かったんですよね。
けれど「撮っているか撮ってないかで言うと、僕も大知くんも撮っている側だし、そういう意味では同じ」って言ってくれたのが嬉しかったです。

Tの時と同じように、とりあえず昔話から始めて共通の友達の名前を出していく…
そうすると和敬もだんだんと思い出してきたのか笑いが増えていきました。
あんなに笑う和敬見たのはもうほんとに久しぶり。
中学校の時もクールなヤツでしたからね。

でもやっぱりそこにいたのは間違いなく”俺が知ってる和敬”だったよ。

でも昔、和敬は俺のこと君付けじゃなくて呼び捨てだったよ!!笑

”14年間”がやってきた。

なんでこんな話をしたのかというと、上手く言えないけど、今までふわふわとしていた感じだったのが、地に足をつけることが出来た感覚があったから。


知らない人たちと出会って、演奏をして、色んなところに行って。

ハンドフルートのおかげで色んな方と知り合えたし、ハンドフルートを始めて良かったと思っていますが、みんな僕がハンドフルートを始めてからのことや演奏している時の事しか知りません。当たり前ですよね。
僕がこうしてブログを書いているのはハンドフルート以外のことも発していきたかったからだし、やっぱり僕のことを誰かに知ってもらいたかったのかもしれない。


それが僕の小さい頃のことを知っている和敬と再会出来て、話すことが出来て。
昔の友達やNやTの話をしているうちに、なんとなく浮いていた身体が安定するような感覚。
あったなぁ〜〜〜居場所が!!!
少しだけそんな風に思えました。


僕が撮ったカフェラテ。
最近はすっかりカフェラテにハマってます。
見た目も可愛いし、新しいカフェに行くと「ここではどんな絵柄で飲めるのかな」と楽しみになります。(他に何を注文して良いか分からないというのもあるけど)
1枚だけでも良いから撮っておこうとカメラを出した僕は、レンズキャップをカーンッと落とすほどテンパっていました。
他のお客さんに「すみません…」と言いながらキャップを取りに行く俺、最高にダサかったよ!!
そのあと自分達の机に腰をぶつけてしまった事でちょっとだけソーサーにカフェラテをこぼしてしまった俺、最高にヘボかったよ!!

でもこの日撮った写真があることで、この日のことをいつでも思い出せるかもしれない。
僕も撮ってもらったし、僕は僕で和敬の写真も撮らせてもらったし。
僕も和敬に会ったことで、もっと写真を撮りたいなと思った。

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