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恥ずかしくても人に見せていくことで、自分でも他人からも「成長」を感じられるようになる

この記事を読んでいる方は、自分のやっていることの中で「見せるのが恥ずかしい」と思うことはありますか?

理由はいろいろあると思います。

未熟だから
始めたばかりだから
もっと上手い人がいるから
悪口を言われそうで怖いから

などですよね。

最初に何かを始めた時には感動の方が大きくて、むしろ「はやく誰かに見せたい!」と思うことの方が多いと思うんですが、続けていくうちに難しさや奥深さ、世界の広さを実感していって、だんだんと「見せるのが恥ずかしい」という状態になることは少なくないと思うんです。

僕にもあります。
例えばピアノ。

僕はピアノがあまり弾けません。
大学でも習っていたけれど、ハンドフルートに比べてあまり時間を取って練習せず、毎週のレッスンにはなんとか通っていた感じだったので上達が緩く、結局卒業しても人前で弾けるようになった曲というのがほぼ無いんです。
そのまま大学を卒業すると「音大出身だからピアノは弾ける」というイメージで見られるようになると思うんですが、弾けないことが恥ずかしくて、隠してきたことが多いです。


例えば写真。

僕は最近写真が好きなんですが、写真を撮っている方で上手い方はものすごい数いますよね。
毎日SNSでハッとするような写真が大量に流れ、刺激を受けることも多いんですが、自分が人に見せる時にはどこかで「趣味だから」と予防線を張っている部分があります。

ですが、そうやって自分で予防線を張って何もしないと、いつまで経っても成長せず、変なプライドだけが残っていく気が最近はしています…

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恥ずかしくても、見せる・残すことが大事

上手くない時も見てもらう、続けた記録をどこかに残す。
そうすると他の人だけではなくて、自分でも成長を感じることが出来ると思います。
いしたにさんの本で、ブログを書くことはログを残していくことに意義があるということが書かれていたんですが、僕も思い切って色々とさらけ出していきたいなぁと少し思うようになりました。

恥ずかしいけどね…
僕が最初にハンドフルートを演奏した時の動画は、やっぱり見るのも見せるのも恥ずかしいんだけれど…笑
でも「少しでも成長したなぁ」と思うためには、そういう最初の物事が記録なり記憶なりに残ってないといけないんですよね。
それも一つ・一度だけじゃなくて、続けて何回も残していくことが大事だと思います。
何故なら成長というのは一直線ではないから…
最初は上手くいっていたけど、どこかでつまずいているかもしれない。
つまずく期間が長くても、急に成長する時もあるかもしれない。
そういうところは、続けて何度も残していないと、詳細に分からなくなってしまうんですよね。

もしとても上手くても、それ以前の経過が残っていないと、「上手くなったか」ということは分かりません。
最初から超絶天才で上手かっただけかもしれないし…笑

僕がこうして、今思っていることをブログに残しているのもその一環になっていると思います。
まだ思い付いたばかりで考えが成熟していないかもしれませんが、続けていくことで考え方が洗練されていくかもしれないし、どこかでまた新しい考え方が生まれるかもしれません。
それを記録として残していくことが大事なのかもしれません。

どうしても人と比べてしまって、自分は人よりも出来ないから、別に自分が出さなくても…と思ってしまうのは自然なことかもしれませんが、そこで思い切って見せていくのも大事なことかもと最近は思うのです。

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