こんにちは、高山大知(@daichihandflute)です。
今回は、『機動戦士ガンダム GQuuuuuuX』の第4話『魔女の戦争』の感想と考察です!
だんだん『GQuuuuuuX』のつづりに慣れてきました。不思議ですね。
第3話『クランバトルのマチュ』の感想と考察も書いています。
▶︎テレビ版 機動戦士ガンダム GQuuuuuuX 第3話『クランバトルのマチュ』感想&考察。 | signature – シグネチャー https://mono-post.com/2025/05/02/gundam-gquuuuuux-3/
第4話『魔女の戦争』
第3話はクランバトル初戦の話だったんですが、そこまでが劇場先行版で放映されていた部分だったんですよね。なので第4話からまったく誰も知らない話になりました。(短編とか予告でちょっと映ってたシーンはあったみたい)
第4話の入りとしては、初戦から少し時間が経っていて、もうすでに4戦しているらしい…。1戦1戦の話をやっていくのかと思ったんですが、いきなり3戦くらい飛んでるんですね(笑)シナリオに関係ないというわけではないだろうけれど、なんだかんだその間何事もなく時間が経っていった感じなんですかね。その間シャリア・ブルはほぼ介入せず、スマホで実況を見て様子を見てるみたいです(ポメラニアンステッカー、あれなに…?グッズ?)
今のところ『GQ』はどういう決着に向かっていく話なのかあんまり分からないですよね。結論が分からないと物語の流れも予想しづらいですが、それもあって毎回楽しみです。
特にこの4話は個人的にヤバかったです!!
まず、予告に出てきたジムっぽいモビルスーツが、まさかの『ゲルググ』!!!!!!!!!連邦軍はガンダムのデータを失っているし、ジムが出来るとしても本当に連邦軍が作ったのか…?と疑問ではあったんですが、ちゃんとジオンがガンダムのマスプロダクションとして開発した機体とは。しかもジムじゃなくて、ゲルググとはね。ただゲルググとして出てきたら出てきたで、結構すんなり納得できました。名前が残っているのも、おそらく元の『MS-14』自体が途中までプランを進めていて、そこからコンセプトや名前を引き継いだということになっているんじゃないかと思いますね。
そして『モスク・ハン』。登場した時、この顔どこかで…と思いましたが、シャリア・ブルが「摩擦キャンセル技術」とか言い始めた時にようやくピンときて、いや〜、感情が濁流に。ここでモスク・ハンが出てくるとは…。どうしても頭では1stガンダムを正史だと考えているので、ifだと知っている人物がどう関わってくるのかを予測しづらいんですよね。マグネットコーティングとは言わなかったけれど、登場してくれたのちょっと嬉しい。
あと今後気になるのはシャリア・ブルが何をしたいのかですね。マチュ達のクラバも観察しているだけですが、オメガ・サイコミュが動いていることは嬉しそうだし、何かのタイミングを待っているのかも。元々エグザベ少尉を乗せた時もサイコミュが起動することはどうやら期待していなかったみたいだけど、ガンダムか、もしくはサイコミュを使って何かをしたいのかもって感じですね。
3話が面白かったので4話は小休止的な話になるかと思って観ていたんですが、シイコが出てきてから急に話が加速し出してすごかったです。最後も個人的にいろいろショックな部分が大きかったですね…。
話の流れやセリフの意味がちょっと難しくて、何度か観ているうちにまた1週間経ってしまいました…。
マチュは、自由になりたい
まずマチュがどんなキャラクターでどういうことを考えて行動しているのか、ここに至るまであんまり分からなかったんですよね。
ただ第4話を何回か観ているうちにちょっとずつ分かってきたのは、“マチュは自由を求めている”っていうことです。これは公式サイトのキャラクター紹介にはちょっと書いてあることなんですが、日常に対してちょっと居心地の悪さを感じているというか、ここから脱却したいんだなということが演出や会話に散りばめられているんですよね。
マチュにとっての『クラゲ』とは
マチュが進路希望に『クラゲ』と書いて、お母さんのタマキに叱られるシーン。ここでマチュは「お母さんって普通だな…」と言っているんですが、これを一旦置いておいて、マチュがなぜ『クラゲ』と書いたか。
マチュ的には、“自由”を表すものとして『クラゲ』を連想しているということです。
マチュが思春期だということもあるんですが、そもそもコロニーでの生活、家庭環境に閉塞感や窮屈感を感じているらしいんですよね。だから、ここから飛び出してもっと自由になりたいと思っている…。第1話で出てきた「宇宙って自由ですか?」というセリフは、一見電波なセリフに見えていたんですが、日頃から自由になりたいと思っているから出てきた言葉なのかなと考えたら納得できました。
あとはもうひとつ第1話でやっていた、プールでの逆立ち。ここで「本物の海を知らない」と言っていたんですが、裏を返せば“本物(の海)を知りたい”っていうことになると思うんですよね。コロニーにあるものは作り物で、制限があるから、ここを出て本物を知りたい、自由に泳いでみたい…そういう感情が日頃からあるのかなと。
ちょっと思い返してみると、キラキラの中にいる時も泳いでるようにも見えるんですよね。あの空間の中で流れているなにかも、泳いでいる魚の群れに見えるし。それに初めてシュウジの隠れ家にやってきた時に流れる『秘密』という楽曲。この曲はイントロで、海の中で泳いでいるような効果音が入っているんですね。このことから考えてみると、マチュはキラキラに、自由に泳げるもの、または海みたいな感覚を感じているんじゃないでしょうか。
マチュが「お母さんって普通だな…」と言っているシーンで映る部屋には、地球儀と、一緒に壁に貼られた大量のクラゲの写真があります。あえて一緒に置いているので意味があると思ったんですが、たぶんマチュにとって地球=海で、海=自由、自由=クラゲ…的なことを無意識に連想しているんだと思います。だから、地球儀とクラゲの写真が同時に置いてある。
4話の中では、シュウジとの会話でも「地球に行きたい!!」と言っています。これマチュはシュウジのやりたいことを一緒にやりたいだけだと思ったので、かなり唐突に言い出したなと思ったし、最初はマチュが本当に地球に行きたいのか分からなかったんですよね。ただこうして散りばめられたセリフ、演出、キーワードを並べ直してみると、地球に行きたいのは結構マチュの本心でもあるのかなと…。橋でニャアンと会話している時に出てきた「地球の海っていつでも泳げるのかな…」という言葉は、これらを加味するとマチュの本心なのかも。ただシュウジたちと話してそういう会話になるまでは、はっきりとした目標ではなかったのかもしれませんね。
なので進路希望に『クラゲ』と書いたのは、この先どこに行きたい、何をしたいという明確な目標はないけど、とにかく自由になりたい…自由に泳いでみたいという気持ちの表れだと思います(よく見ると髪留めやスマホケース、アクセサリーにクラゲを模したモノを使っているので、相当好きなんだろうなと)。ただマチュ的にもまだそれが漠然としているから、とりあえず連想して『クラゲ』と書いたんじゃないかなと思います。
マチュとシュウジの距離感
次に、マチュがシュウジに感じていることについて。
マチュが言った「お母さんって普通だな…」ってセリフ。そしてシイコに感じた「お母さんとは全然違う…」という気持ち。お母さんとの対比で、シイコが「普通じゃない人」という人物として登場したと思っていたんですが、マチュにとってお母さんの「普通」と対比になっているのはシュウジの方かも。なぜなら「お母さんって普通だな…」のあとにすぐ「シュウジって不思議だよね〜」と続くから…。
(シイコに対してマチュがどう感じていたのかの解釈がちょっと難しいから一旦シュウジの話をする)
言葉が違うから分かりづらいけど、やっぱりマチュはシュウジに対して、今までと違う新鮮なことを感じてるのは間違い無いと思いますね。
シュウジに対しては、一目惚れ、好奇心、憧れなど、いろいろな感情がある気がします。ニャアンとの「ガンダムを盗んでいたとしたら…」という会話でも、「それならもっと凄いよ!」と言うマチュ。マチュには、肯定することで“相手のことを知っている”と暗示したい気持ちが無意識にあったのかも。だからシイコに「赤いガンダムのパイロット(シュウジ)ってどんな人?」って聞かれた時、「シュウジのこと、(知っているつもりになっていただけで)何も知らない」って、ハッとしたんだと思います。
そこからシュウジと自分の距離感を意識し始めるし、「置いて行かれてしまう…追いつきたい」って思うようになったんじゃないかと思いましたね。この流れがあったから、シュウジがシイコを撃墜したとき、初めて具体的な自分との距離感を客観視できた…。第4話はそういう流れになっていたんじゃないかなと思いました。
大事なのは、そこでシュウジと自分は違う人間なんだ…で終わるんじゃなくて「踏み込まなければ、シュウジのいる場所には届かないんだ」と言っていることなんじゃないかなと思いますね。近づきたいと思っているし、近づくためにはどうしたら良いんだろうと思うようになったから「届かないんだ」って出てくるんだと思うんです。第4話だとここまでなので、マチュが今後どういう行動をとっていくのかはまだ観ていかないといけないですね。
マチュの金銭感覚が変わってきてる
あと、ちょっとニャアンとも若干すれ違いがあった気がします。ニャアンに水着の話をして「お金なら大丈夫だよ!」と言っているのは、マチュ自身の金銭感覚が変わってきているセリフだなと思いました。第3話では「お金もったいないし…(ただのごまかしで、金銭感覚とは違う気もするけど)」と言っていたマチュが、クラバを重ねて賞金が入るようになり、ちょっと金銭感覚が変わってきてしまっているんじゃないかと。クラバやれば大量にお金が入る!みたいな…。
ただニャアンって、地球に行くためにスペースグライダーを買うという目的を知ってからは、自分でもバイトを増やして稼ごうとしたりしているので、出来ることをコツコツやっていくという感覚が残っている気がします。
マチュの家庭環境や通っている学校と比べて、難民になって生きてきたニャアン。橋のシーンでどれくらい2人の差を描こうとしたのかは分からないけれど、この2人はやっぱり立場が違うので、細かい考え方や感覚はどうしたって違うと思いますね。
他にもこの辺りの演出の意図とか、マチュがシュウジに対してどう思ってるのか、お母さんと比べてシイコをどう感じたかが僕は難しくて…。ブログを書き始めるまで時間がかかってしまいました。第4話自体いろいろな対比が出てきた気がするので、なかなか理解が難しかったです。
書き始めたら整理できるかなとも思ったんですが、まだちょっと曖昧なところがあるので、考察とか感想が変になってたらつっこんでおいてください。笑
シイコは、自分を肯定したかった
第4話は複雑で理解が難しかったんですが、お母さんとの対比だったり、マチュとシュウジの距離感だったりに加えて、さらにシイコの話が混ざっていたからだと思いますね。
『シイコ・スガイ』というキャラクターが何をしたかったのか、セリフにどんな意味があったのかが僕は分かりづらかったんですが、何度か観て一応自分を納得させられたので、書いておきます。
シイコにとってのニュータイプとは
まず、どうしてそこまでして赤いガンダムを倒したいのか、どうしてニュータイプを否定したいのかが分からなかったんです。赤いガンダムと言ったりニュータイプと言ったりするので、同じものとしてなのか、別のものとして言っているのかが分かりづらいのも複雑に感じた原因かもです。
そこで、『赤いガンダム』という呼び方には『赤い彗星』と『ニュータイプ』も含んで言っているのかもと分かると理解しやすくなりました。
シイコは、“赤いガンダム(ニュータイプ)を倒すことで、今の自分を肯定したい”っていう人物だったんだと思います。
1年戦争時、赤いガンダム(赤い彗星、ニュータイプ)に相方を奪われたシイコは、守れなかった自分に不甲斐なさを感じています。シイコ自身もニュータイプであることは、戦い方だけじゃなくて、マチュが赤いガンダムのマヴだと見抜いたことなどから見て間違いないとは思います。おそらく戦時中もニュータイプだと言われ続けていたと思うんですよね。
だけどシイコは、相方を守れなかったし、諦めることを選んだ人間だから、自分はニュータイプではないと否定していたんじゃないでしょうか。ニュータイプにコンプレックスを感じているみたいな。
最初は仇打ちをしたかったのかもしれないけれど、ソロモンで消えてそれが叶わなくなったから、諦めてそれ以外のこと(家庭)を選ぶことで幸せを求めて自分を納得させようとしたわけですよね。もし自分がニュータイプだったら、相方も守れたし、望んだものを諦めずに手にいれる力もあったかもと思うようになった…。そんな自分と比べて、“ニュータイプは望んだもの全てを手に入れられる選ばれた人”と言っているんだと思います。自分はニュータイプではないと暗示しているのは、そういうニュータイプ論から来ているんだと思いますね。だけど、ニュータイプがそういった人種だと認めてしまったら、自分という存在は一体なんなんだろう…と思うことにも繋がるので、ニュータイプが“選ばれた人”だと認めたくない、という感情もあるんですね(考察も感情もぐちゃぐちゃだ)。
家庭が出来た自分。坊やや旦那がいてくれて幸せな自分。そういう幸せもあるし、それが普通だと思うようにしていたけれど、再び赤いガンダム(ニュータイプ)が現れてしまったことで、今の自分がいたたまれなくなってしまったのかも。
赤いガンダム(ニュータイプ)を倒すことが出来れば、自分の未練にも決着を付けられるし、諦めてしまった自分のことを肯定できる…。それにシイコにとって戦場という場所も居心地が良かったというか、性に合っていたところもあったんだと思います。“プレッシャー”にもどこか快感を感じていたし、戦場こそが自分の居場所だと思っていたのかも。だから結局戦いに戻ってきてしまったんだと思いますね…。
シイコはニュータイプを倒すことで、今の自分を肯定したかった。そういうことだったんじゃないかなと思うと、ちょっと納得できました。複雑だけど、人間らしい良いキャラクターだと思います。
シュウジは、終わらせた
シイコの話だけならまだ良いんですが、そこにさらにシュウジが加わってくるんですよね。一番印象に残ったのは、やはりあの決着の付け方。
ビームサーベルをゆっくり刺すのは、何度観てもしんどいです…。
モビルスーツからシュウジの感情を感じた
ゆっくりということは、シュウジは冷静になっているということだと思います。よくある攻撃の仕方だと、叫んで勢いよく振り下ろすとか撃つとか。モビルスーツが勢いをつけて攻撃するとき、そこにはキャラクターの感情も乗っているものだと思います。ガンダムって機械だけど、キャラクター的なものでもあると思うんですよね。ガンダムを通じて、パイロットを見ている。
だから赤いガンダムがビームサーベルをゆっくり刺した時、シュウジの冷静な感情が見えてしんどくなりました。
シュウジがなぜああいう終わらせ方をしたのか、ちゃんと理解できてない部分もあるんですが、少なくともシイコが死ぬことをちゃんと分かってて、あえてコックピットにビームサーベルを刺しているんですよね…。もちろん魔女の本気も感じたと思うし、ちゃんと撃墜されかけたから殺したというのもあると思います(あのギリギリの置きビームライフル回避を見てシュウジすげぇなとも思った)。
『1stガンダム』でアムロがララァを間違って殺してしまったシーンでは、“取り返しがつかないこと”の重さを感じました。ただ今回のシュウジは“間違って”そうしたわけではないことが分かるからこそしんどいんですよね。
相互理解
あの瞬間、シュウジとシイコはニュータイプ空間(キラキラ)でお互いのことを分かったんですよね。シュウジはシイコに自分の目的を伝えたし、シイコはそれを全て理解した。これは間違いなくニュータイプの相互理解ではある思うんですが、相互理解には必ずしも良い結果がつくわけではなくて、理解した結果の離別や突き放しもあると思うんです。
シュウジはシイコの何を理解して殺したのか。シイコはシュウジのどんな望みを知って、坊やを最後に思い浮かべたのか…。シュウジはシイコのことをちゃんと理解したからこそ、ここで終わらせてあげたということだったのかな…。シイコは坊やを思い浮かべたことを見ると、母親の自分も幸せだったことを最後に気付けたのかも。ただ“ちゃんと目を背けず現実を見ましょう”の演出とも取れたので、見ていて幸せな気持ちにはならないし、むしろやっぱりしんどかったですね。
ああして一瞬で相手のことを分かってしまうニュータイプって、必ずしも良いものではないと思いますね…。
ガンダムの向こう側にいるもの
シイコがニュータイプ空間で言っていた「ガンダムの向こう側に、誰かいる」というセリフ。間違いなく伏線なんですが、僕は今の時点だとそれが『ララァ・スン』って思えてならないです。
構図的には、シュウジと赤いガンダムを通して、その『誰か』が見ているという感じでしょうか。
シュウジは、「と、ガンダムが言っている」とよく口にしているんですが、それはガンダムがというよりも、ガンダムの向こう側にいる『誰か』が言っているということなんじゃないかと思いますね(ほんとに赤いガンダム自身がシュウジと会話してたらウケる)。ただそう考えると、“シュウジの望み”は本当にシュウジのものなのか、それとも『誰か』のものなのかが分からなくなるんですよね〜。これは今後出てくる話になるのか、それとも想像するしかないのか…。伏線になっているなら重要なもののはずなので、これからのエピソードがまた楽しみです。
ララ音について
僕が『ララァ・スン』が関わっているんじゃないかと思う理由が、いわゆる『キラキラ』と『ララ音』の2つです。
今回『ララ音』という言葉が出てきたんですが、『GQ』で初めて出てきた用語ですね。
マチュがキラキラを見たりするときにも鳴っている「ラ…ラ…」という音?声?は、どうやら現象として周りにも聴こえる人間がいるみたいですね(1stガンダムでも、コンペイトウでエルメスの攻撃を受けた連邦軍の人が聞いていた)。マチュだけじゃなくて、ソドンクルーにも聞こえています。ただ聞こえる人とそうじゃない人がいる(ニュータイプか、素質がある人?)らしく、またハロが聞こえないことから機械には影響を与えないものみたいですね。
『1stガンダム』だとアムロとララァが交感する時、ニュータイプ空間(いわゆるキラキラ的なもの)に加えて「ラ…ラ…」という声が聞こえてきます。そしてこれらは『1stガンダム』以降出てこないんですよね。なので僕は「ラ…ラ…」という表現は、ララァ・スンとセットだと思うんです。
『1stガンダム』でしか出てこなかったこの声を『GQ』にも使っていて、しかも『ララ音』という用語も作っているところを考えると、ただのニュータイプ的表現なんじゃなくて、やっぱり何かしら『ララァ・スン』が関わっているからじゃないですかね。
あと僕的に確実なんじゃないかと思っていることは、この『ララ音』は“赤いガンダムが関わっている時”しか聞こえていないんじゃないかということです。
マチュが最初にキラキラを見てララ音を聞いたとき(第1話)は、近くに赤いガンダムがいました。第4話でも、ララ音が聞こえた後にシャリア・ブルが「赤いガンダムで何が起こっているんだ」と言い、赤いガンダム内のサイコミュ装置とカメラアイが光ります。
ちなみにララ音だけじゃなくて、マチュのキラキラも赤いガンダムが関わっている時にしか見ていない気がするんですよね。第3話でキラキラのグラフィティを直感したのも、赤いガンダムに関係あるからだと思うし…。
そして“ガンダムの向こう側には誰か”がいる…。
そのキラキラも、誰かがいると言って見てみると、これまでの青緑や青色から変わって黄色く変わっていくんですよね。キラキラは赤いガンダムを通じてどこかにつながっていて、その向こうで『誰か』が見ているということなら、それが『ララァ・スン』なのではないかなと…。今の時点では、ララァが関わってきてどうなるのかというのはまだ分からないんですが、『ララ音』や『キラキラ(ニュータイプ空間)』って意味もなく使う表現じゃないと思います。
『GQ』の楽曲にある『コロニーの彼女』『欲しいものすべて』は、「ラララ」という歌詞が使われているんですよね。これもやっぱり『ララ音』が重要だから、楽曲にも含めているんだと思いますね。
第4話で登場した新楽曲『欲しいものすべて』、すごい良かったです。曲調は明るくて爽やかで、歌い方も優しい曲。なんですが、あの明るさがシイコが撃墜されるシーンの重さをさらに引き立てている気がしてグッときました。
そのほか言いたいこと
・『AMBAC』が言葉として出てきたのすこ
・ニャアンがバイトを続けられているのは、クラバに勝って賞金を手に入れたから…ということは、クラバの賞金は5000ハイト以上ってことか…??
・アンキーはニュータイプとサイコミュのことを知っているようだったから、元ジオンだと思っていたけど…。シイコと知り合いだったのなら、元連邦軍か、ドミトリーの人だったのか。
・ギレンとキシリアの覇権争いというワードが出てきて、この先そうなっていくのかと
まとめ
『GQ』が作品で何を表現したいのかはまだ分からないけれど、演出やセリフ、ひとつひとつにちゃんと意味があるんじゃないかと思えるんですよね。なので何度観ても楽しめるし、観れば観るほど理解が深まるので、全然飽きないですね。
今後気になるのは、シャリア・ブルが何をしたいのか、ジークアクスがどうして作られたのか、マチュ達3人が何をしたいのか、シャアは生きてるのか、ジオンの覇権争いはどうなるのか、キラキラとララ音の正体は…とかですね。
第5話も感想書けるまで時間かかりそうですが、頑張ってまとめてみたいと思います。
画像:公式予告PVより
